2014年06月06日

★ 動く市政教室 Vol.1 <三好達治・妙三寺編>

 三田市では年に4回、市民ボランティアグループ 「サンダ・バード」
市企画広報課の主催で 動く市政教室 を開催しています。
毎回興味深いテーマで企画・運営されており、今回は・・・。

『伝え残したいもの in 三田 〜三田の歌碑・石碑をめぐる〜』 でした。

行程を確認すると、行ってみたかった寺院も。
はい!! もちろんお勉強の為、参加してまいりました☆

市のマイクロバスに乗車して
案内人は、「サンダ・バード」のベテランガイド 藤原さんと堺さんです。
ご参加の市民の方19名と一緒に、市内の寺院など6ヵ所を巡りました。
今回の行程のご紹介♪


市役所  車瀬橋歌碑  妙三寺  旧九鬼家住宅資料館 
パスカルさんだ一番館石碑  清水山給食センター(給食試食) 
花山院歌碑  武庫川土手歌碑  市役所


歌碑や石碑が勢揃いのツアーです。
パスカルさんだに石碑が? 武庫川の土手に歌碑が?
普段から意識していないといけませんね・・・(>_<)

 まずは車瀬橋上の 三好達治 (ミヨシ タツジ) 歌碑へ。
昭和を代表する詩人 三好達治は、幼少期をこの三田で過ごしています。
家庭の事情で6歳の時に妙三寺の祖母の元に引き取られ、小学5年まで三田小学校に
通いました。
車瀬橋中央にある歌碑「祖母」は、車瀬橋で蛍狩りをした思い出を詠んでいます。

2014-06-06-14-25-38_deco.jpg  


祖母

祖母は蛍をかきあつめて
桃の実のやうに合せた掌の中から
沢山な蛍をくれるのだ

祖母は月光をかきあつめて
桃の実のやうに合せた掌の中から
沢山な月光をくれるのだ

             達治




小さな頃から病弱だった達治と一緒に蛍狩りをしたり、いつもそばで励ましてくれた祖母。
寂しさから孤独に落ち入っていた達治に目一杯の愛情を注いでいたその情景を思うと、
何だか心がじんわり温かくなります


車瀬橋で歌碑を見学した後は、達治が幼少期を過ごした 妙三寺 (ミョウサンジ) へ。
歌碑は寺門横に建てられており、

「柿の花 狭筵(サムシロ)に散る 春の日の 
                  少年の日も 人を恋ひゐし」


と刻まれ、達治の望郷の念が込められています。


2014-06-05-14-29-18_deco.jpg妙三寺の武田隆遠住職から当時達治が過ごした
中2階の小窓の紹介があり、
『ここから遠くを眺め、故郷への思いを
巡らせていたのかもしれない。』
とのお話を伺いました。
親元を離れ、達治がこの小窓から見た情景には
何が映っていたのでしょうか・・・。



 妙三寺は、まだ寒さ厳しい3月初旬に下帯一本の修行僧3名が境内にしつらえた結界の中で
冷水をかぶる 「妙三寺大荒行 (ミョウサンジダイアラギョウ)」 が有名です。
信者だけでなく、近隣の人々やカメラマンがこの水行を拝観に多数訪れて賑わいます。


三田の町を、三好達治の面影を探しながら散策してみませんか




妙三寺
兵庫県三田市三田町34−5
TEL:079-562-6414



posted by sanda_story at 17:35| 兵庫 ☔| まち歩き・歴史 | 更新情報をチェックする